「人」の形で打つ

村上豊氏の指摘

 本サイトではMLBで活躍する選手が「人」(右打者の場合,「入」)の形で打っていることを度々紹介しています.このことは 「科学する野球」の著者である村上豊氏が 35年前に指摘しています.

引用元:村上豊(1985):科学する野球 (打撃篇) ,ベースボールマガジン社, p.121

インパクトでバットに体重をのせるには
 この,インパクトでバットに体重をのせるというのは,インパクトでバットの運動量を最大にするために,スイングの初期に蓄えたほかの運動量,つまり,腰の捻りで得られたヒップや胴体の運動量を手や腕の振りに移し,バットに移しかえることなのです.
 ですからそのためには,右打者ならば,フォワードスイングで左体側が捻りきられて,もうそれ以上捻られなくなったところで体の動きを止めて,いわゆる「左の壁」(右打者)を作らなければいけないのです.体の捻りが止まるから,これまでの体の運動量をバットに移しかえることができ,バットの走りがよくなるわけです.
 「左サイドに壁をつくれ」といわれているが,これは体の運動量をバットの撃芯に移しかえるためであって,そのためには,後ろ足にかけていた体重を前足に移しかえなければならないのです.
 あの長嶋選手でさえも,体重が後ろ足から前足に乗り移っていません.体重を両足の真ん中に落とし,左肩と左足とを結ぶ線上に左腰を乗せていないから,「左の壁」が完全にできていません.これは,前足をステップしても後ろ足に体重を残し,体の中心で腰を回転させ,前腰を後ろに引いてしまうからなのです.
 アメリカの選手は体重を前足に移して,前方・前腰・前足を一直線にして,完璧な「右の壁」(左打者)を作っています.日本の打者の打球のスピードが彼等に劣るのは,もはや体力の差ではなくて,この壁を作ることができなくて,腰から打てていないからなのです.
 それを,日本の野球界の指導者たちは,アメリカの選手のようにステップした前足に体重を移すと変化球が打てないから,体重は後ろ足にタメたまま打たないといけない,といった屁理屈を述べて指導するものだから,日本の打撃技術はいっこうに上達しないのです.

引用元:村上豊(1986):科学する野球 (実践篇) ,ベースボールマガジン社, pp.172-174 より抜粋.

 村上氏は,ステップした前足に体重を完全に移して,右打者の場合 「左の壁」を作ることにより, スイングの初期に蓄えたほかの運動量をバットに移しかえることができると述べています.これはステップに伴う運動エネルギーを前足着地後に体を止めることで,スイング動作に転移することを意味しています.当時は,現在のようにMLBの打撃動作が手軽に動画でみられる環境ではありませんでしたが,村上氏の観察眼の鋭さには驚かされます.

前足を着地してブレーキをかける(第一動作)

 走り幅跳びの踏切りで急激にブレーキをかけることによって,助走の運動エネルギーを跳躍動作に転移するのと同様に,打撃動作ではステップに伴う運動エネルギーにブレーキをかける動作が必要となります.村上氏はブレーキをかける動作を,前足に体重を移動して,「左の壁」(右打者) 」 を作ることと理解されていたようです.しかし, 実際には前足を着地することでブレーキがかかればよいので, 体重を完全に乗せる必要はありません.

前足を着地して前方移動にブレーキをかけるケン・グリフィー・ジュニア.体重は前足に乗り移っていない.引用元:YouTube

 打撃動作では,まず大元のエネルギーとしてステップによる前方移動の運動エネルギー(一次エネルギー)をつくります.このエネルギーを運動連鎖によってスイング動作に利用するためには,いったん前方移動を静止させなければなりません.つまり,前足の着地は,ステップに伴う前方移動にブレーキをかけ,前方移動に伴う運動エネルギーをスイング動作に伝達するために行われます.ブレーキをかけることが目的であるため,体重を前足に移動する必要はありません.

前脚の膝関節を伸展して,下肢のエネルギーを上肢に伝達する (第二動作)

 打撃動作は二段階の動作から成り立っています.最初の動作が「 前足を着地して,ステップに伴う前方移動にブレーキをかける動作」で,二番目の動作が下肢のエネルギー(二次エネルギー)を上肢に伝達する動作になります.

前脚の膝関節を伸展することによって,下肢のエネルギーを上肢に伝達する ケン・グリフィー・ジュニア.体重は前足に乗り移っていない.引用元:YouTube

 下肢のエネルギーを上肢に伝達する動作は,前脚の膝関節の伸展によって行われます.前脚を着地したときに膝関節は大なり小なり屈曲します.グリフィー選手はあまり屈曲していませんが,膝関節を屈曲することにより,下肢のエネルギーを股関節を介して上肢に伝達し,スイングスピードを速くしています.具体的には前脚の膝関節を伸展すると,体幹が後方に倒れ,左肩が後方に右肩が前方に引っ張られる力が働きます.(右打者の場合).この体幹の回旋を利用してスイングスピードを速くします. 

 競技レベルの異なる選手における野球のバッティング動作を比較した研究では, 膝関節の伸展動作によって下肢から体幹へ力学的エネルギーが伝達されると考察されている(Escamilla et al., 2009;Inkster et al., 2011).また,Escamilla et al. (2009)は,関節の伸展速度あるいはセグメントの回転速度のピークが膝から腰,上胴,肘の順に出現し,その大きさも漸増し ていたことから,エネルギーが下肢から体幹,上肢,バットへと順次伝達されることが大きなバッ トヘッドスピードの獲得に貢献すると考察してい る.以上より,野球のバッティングにおいて,下肢はエネルギーの発生源であり,生み出してエネルギーを体幹へ伝えさせる役割を担っていることが推測される.

引用元:堀内 元,中島 大貴,桜井 伸二(2017): 野球のバッティングにおける下肢および体幹の力学的エネルギーの流れ,体育学研究 62:pp.575-586

 前脚の膝関節の伸展による 下肢から体幹への運動エネルギーの伝達については,引用元の論文の緒言に言及があります.興味のある方はご覧ください.

「人」の形になっても,前足に体重は移動しない

 打撃動作の第二段階の動作にあたる前脚の膝関節の伸展によって体幹が後傾するため,インパクト後, 前方・前腰・前足が一直線になり,「人」の形が確認できます.フォロースルーでこの形が確認できれば第二動作が利用されたことがわかります.
 村上氏は, 前方・前腰・前足が一直線になるときに,体重が前足に完全に移動すると述べていますが,体幹が後傾して,のけぞるような体勢になるため,体重は後ろ足にかかります. 前方・前腰・前足が一直線になる 「人」の形 になっても,前足に体重が完全に移動することはありません.

前方・前腰・前足が一直線になっているケン・グリフィー・ジュニア.第二動作を行うと体重は後ろ足にかかるため,体重が前足に完全に乗り移るということはない.引用元:YouTube
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