左方向への本塁打
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=EtohgogtBSw




工藤公康投手のインコースのストレートを左方向へ運んでいる落合選手の打撃動作をみると,次の点がわかります.
- インパクト後,両腕が伸ばされていない.
- 肩を回して体の回転を利用してボールを飛ばしている.
おそらく,落合選手はインコースのボールを普通に腕を伸ばして打つと,ファールになるため,体の回転を利用してフェアゾーンにボールが飛ぶように打ち方を変えていたと考えられます.フォロースルーでバットが体に巻き付くくらいまで肩を回していますが,両腕を伸ばさないこの打ち方ではボールに力が十分に伝わらないので,遠くに飛ばすことは難しくなります.落合選手は歴代6位の510本塁打を記録していますが,あまり飛距離の出るほうではありませんでした.
それでも,当時は球場も狭く,150kphのボールを投げる投手も今ほど多くありませんでしたから,50本塁打(1985年52,1986年50)を記録することも可能でしたが,投手のボールに力のあるMLBではNPBほどの活躍はできなかったと思われます.
1978年(昭和53年)から1991年(平成3年)にかけて,ロッテが本拠地とした川崎球場について,ウィキペディアから引用します.
外野の広さは公称こそ両翼90メートル (m) 、中堅120mだが、実際はもっと狭く、左中間や右中間の膨らみもほとんどなかった。実測値は両翼89m、左中間105m、中堅118m、右中間103mで、実際はこれよりさらに狭隘だったとする説もある。実際に当時、一部新聞発表で両翼は実測87mと記載があった。そのため、当時の球場の中でも狭くて本塁打の出やすい球場として知られた。中堅最深部が本塁と二塁を結ぶ線の延長よりやや左に寄った変形球場のため、打者の視点からは違和感を覚えることもあったとされる。当初外野スタンドはごく最小限の設備で建設され、その後左右対称に増築する計画が立案されたものの、右翼場外に道路を通すことになったのに伴い右翼側の増築部は道路の計画に沿って設計を見直し、右中間からポール際にかけて上半分を切り取るような変則的な構造となった。このため右翼側スタンドは非常に狭隘で、右翼方向への本塁打が場外に飛び出すことがよくあり、右翼スタンド上段に高い防球フェンスが設けられた。国道の計画はその後経由地が変更となり、代わって市道が設けられた。
引用元:ウィキペディア
ケン・グリフィー・ジュニア選手と門田博光選手は,左方向へ引っ張る場合でも,インパクト後,両腕を伸ばしてボールに力を伝えていました.「科学する野球」でも,インパクト後,両腕を伸ばしてボールを強打することを正しい打ち方として提唱しています.当サイトでも「できるだけ遠くにボールを飛ばす」ということを打撃の本質として位置付けしています.
グリフィー選手と門田選手は引っ張る方向でも,ファールにすることなく両腕を伸ばして打つことができていましたから,落合選手の特殊な打ち方(すばらしい打ち方と賞賛される方も多いと思われますが)は,打撃の王道からは外れているといわざるを得ません.
右方向への本塁打
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=KK45HiLtJKg
動画では横方向からのスイングしか確認できませんが,インパクト後の落合選手の顔の向きから右方向へ打球が飛んでいると思われます.

さすがの落合選手も右方向へ本塁打を打った打席では,肩を回すわけにもいかず,打ち返す方向に両腕を伸ばしてボールに力を伝えています.引っ張る方向に打つときに,肩を回さずにインパクト後,両腕を伸ばして打つことができるかどうかが,打者を評価する際の一つの指標となります.