「歪み理論」の問題点

人間の体はゴムと同じ弾性体ではない

 人間の体は,筋肉がゴムと同じような作用をもつ弾性体ですから,ゴム紐を引っ張ると元にもどろうとする力があるように,捻りを与えると再び元にもどろうとする力が体の中にできます.これを「静的な力」といって,その力の大きさは歪みの量ではかります.
 もっと一般的にいうと,どんな個体でも外から力を与えると,その固体内に歪みが起こり,外力と釣り合うための抵抗がその固体内に生じます.この抵抗力を固体の内部応力(歪み応力)といいます.

引用元:科学する野球・投手篇,p.42

 「科学する野球」は,歪み理論を基に展開されています.歪み理論では,筋肉がゴムと同じ作用をもつ弾性体であるという理由から,人間の体をゴムと同じ弾性体と定義しています.確かに筋には弾性要素がありますが,伸ばされたバネを戻す効果は,プライオメトリックトレーニングのような筋腱複合体のバネを急激に伸ばして弾性エネルギーを利用する場合にしか得られません.

 「科学する野球」の前脚,後ろ脚を軸とする体の捻りは、ストレッチ・ショートニング・サイクル(SSC:Stretch-Shortening Cycle)を利用できるほどの急激な伸張反射を伴わないため,ゴム紐を引っ張って元に戻るような弾性エネルギーの利用はできません.ですから,前脚,後ろ脚を軸とする体の捻り戻しは,弾性エネルギーではなく,つま先の方向に体が向くという人体構造上の特徴を利用したものであると考るのが適当です.

引用元:科学する野球・投手篇,p.44 図3

前脚を軸とする捻りは,捻り戻しに逆行している

 ここで,重要なことをお話ししなければなりません.それは体を捻るために体を回すと,体を回す向きによって,右から左へ,あるいは左から右へと体重が軸足に乗り移る(ウエイトシフト)ということです.体重が軸足に乗り移るから土台ができて,上半身の捻りに耐えられるわけです.
 ところが,日本の野球界ではいま,フォワード・スイングで体を早く開く(回す)のはよくないといっていますが,これもまた常識のウソなのです.肩を開くな,肩を止めて投げよ,打てということは,肩を回すなということですから,体を回すなということになります.体を回さないことには体重が軸足に乗り移らないから,体を捻ることができません.体を捻ることができなければ,内部応力を求めることができません.

引用元:科学する野球・投手篇,p.49

 「科学する野球」の歪み理論では,捻り戻しで内部応力を利用してバットのスイングスピード,投球の腕の振りを加速することになっています.後ろ脚を軸として体を捻り、体を捻ったままの状態でステップし,前脚に軸を移すと前脚を軸として体を捻っている状態になります.つまり、軸を後ろ脚から前脚に踏み替えたことになるのですが,ここから捻り戻しをおこなうためには,前脚を軸として前方に体を捻っていかなければなりません.

 しかし,前脚を軸として前方に体を捻っていく動作は抵抗が生じる窮屈な動作となるので,捻り戻しを阻止する動作になっているといえます.つまり,この前脚を軸とする捻り戻しは無理があるということです.また,捻りの軸とするためには,体重が軸足に乗り移っていることが必要とありますが,実際の投球,打撃動作では前脚に体重が乗り移るということはありません.

投げ終わった後、体重は前脚に移動しているが,腕を振る時点で体重が完全に前脚にシフトして,前脚が捻りの軸になることは考えにくい.
引用元:科学する野球・投手篇,p.48
前足の着地後、急激にブレーキをかけているため,後ろ足が地面から少し離れているが,体重は前脚にシフトしていない.
引用元:科学する野球・投手篇,p.48

捻りではなく,ステップにより運動エネルギーが生み出される

 運動連鎖の考え方-運動エネルギーを大きな部位から小さな部位へ伝達する で述べたように,運動エネルギーは 1/2mv2 =1/2×質量×(速度の二乗)で表され,投球,打撃動作のどちらにおいても,ステップに伴う前方移動により大きな運動エネルギーが生み出されます.ステップの速度vが同じと仮定すれば,体重のある選手のほうがm(質量)が大きくなるので,運動エネルギーが大きくなります.

 ステップ足が着地して前方移動にブレーキがかかると,運動連鎖の原則により前方移動のエネルギーは,投球腕,バットのスイングスピードを加速するためにより小さな部位へと伝達されていきます.運動エネルギーをロスなく流していくためには,前方移動にブレーキがかかるように前足を着地することが必要になります.つまり,ブレーキをかけることが重要となるので,体重移動はおこなわれないということです.もし,体重が前脚に乗り移る(ウエイトシフト)ことを優先すれば,前方移動にブレーキがかかりにくくなるため,運動連鎖がうまくいかないということになります.

 残念ながら,「科学する野球」の歪み理論,内部応力を利用して投球腕,バットのスイングスピードを加速するという考え方は正しいとはいい難いという結果になりました.ただし,軸足のつま先を内側に閉じて体を捻り,捻り戻しでステップする動作は,歪み理論とは関係なく,パフォーマンスを高める動作として捉えることができます.